壇ノ浦で敗れた平家の軍

平経盛・・・清盛の弟。前年の一の谷の戦いで失った敦盛ら子息の死を嘆きつつ、入水自害した。
二位尼・・・安徳天皇を抱き「波の下にも都がございます」と告げ、ともに入水自害した。
平教盛・・・経盛の弟。一の谷では嫡男の通盛ら子息を失った。兄経盛とともに入水自害した。
平時忠・・・「平家にあらずんば人にあらず」の言で知られる。捕らえられ能登に配流、のち現地で没した。
田口重能・・息子の教能が既に投降したこともあり、300艘の軍船で源氏方に寝返ったという。
山鹿秀遠・・松浦党とともに参戦し、平家方の大将軍として勇戦するも敗れた。
平宗盛・・・捕らえられ鎌倉に連行後、帰路の近江篠原で斬首された。
平知盛・・・碇を身に巻いて入水自害。「見るべきほどのことは見つ」の名言を残した。
建礼門院・・入水するも義経の家臣に引き上げられ助命。後に京都大原・寂光院で出家隠棲し、生涯を終えた。
平教経・・・教盛の子。奮戦ののち義経への斬り込みを試みるも果たせず、二人の敵を抱えて入水自害した。
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平資盛・・・重盛の子。従兄弟の有盛・行盛とともに手を取り合って入水自害した。
平有盛・・・資盛の従兄弟。資盛・行盛とともに入水自害した。
平行盛・・・資盛・有盛とともに入水自害した。
平清宗・・・宗盛の子。父とともに捕らえられ鎌倉に送られ、父の直後に近江篠原で斬首された。
藤原景清・・捕らえられず行方をくらまし生き延びたとされる。後に諸国を流浪した伝説の人物。
平 家長・・・平家の侍大将。奮戦ののち、入水自害したとされる。
守貞親王 ・・建礼門院の兄・高倉天皇の皇子。当時六歳。捕らえられ京に送られた。

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