►ゆかりの人物
三井 高利・・・・日本橋本町に呉服店を開く。「現金懸値なし」の新商法で急速に発展させた商人。
長谷川 平蔵・・・宣以(のぶため)。江戸中期の旗本。寛政期に火付盗賊改役。石川島(現・中央区佃)に人足寄場を創設。
十返 舎一九・・・江戸後期の戯作者、絵師。代表作は1802(享和2)年に出した「東海道中膝栗毛」。
佐久間 象山・・・松代藩士。銀座木挽町に五月宿(兵学塾)を開いた。
三野村 利左衛門・三井の大番頭として活躍した商人。
桃井 春蔵(直正)・剣術家。「桃井春蔵」の名は代々士学館館主が襲名した名跡。直正は4代目である。「品格随一」の評。
月岡 芳年・・・・幕末から明治期の浮世絵師。描いた浮世絵のジャンルは幅広かったが、衝撃的な無惨絵も手掛けた点が特異。
渋沢 栄一・・・・幕末から明治の事業家。日本橋兜町に東京証券取引所を開設する際にも活躍した。
長谷川 時雨・・・明治から昭和期の劇作家、小説家。雑誌や新聞を発行し、女性の地位向上に尽力。
谷崎 潤一郎・・・日本橋の生まれの著述家。過剰なほどの女性愛やマゾヒズムの作風に始まり、表現は生涯様々に変遷する。
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芥川 龍之介・・・入舟町(現・中央区明石町)の生まれ。「蜘蛛の糸」「杜子春」など短編小説が多く知られている。
►名勝 ※外部リンク
旧浜離宮庭園
►食のレガシー
江戸前寿司・・・・・・・・・・・
江戸期にあった佃辺りの漁場・前島が詰まって江戸前という。江戸前で獲れた魚は、酢〆め、醤油ヅケ、
煮詰め、炙り、飾り包丁など、多彩にして精妙な手技が施され、一口サイズの握り寿司となって提供される。
獲れたて鮮魚の地の味をダイレクトに味わう海鮮寿司とは対極であって、江戸前の響きに技芸重視の寿司
であることを連想する人は少なくない。
江戸前寿司の風情を味わいたい人は、しめの一品に干瓢などの手巻きを持ってくることをおすすめする。
もんじゃ焼き・・・・・・・・・・
水で溶いた小麦粉に具材を混ぜ鉄板の上で焼き、めいめいのヘラで食する料理。
食料・物資難であった昭和20年代に、子供向けに小麦を溶いた汁で鉄板の上に文字を書いて教えたことが
もんじゃと訛って、今に至ったという。もともとは子供向けに提供した駄菓子屋のサービスである。
月島の飲食店街は、子供の頃に味わった懐かしの味を、大人のつまみに進歩させ、地域特産化に成功する。
とんかつ・・・・・・・・・・・・
明治期(1895年頃)に銀座の洋食店「煉瓦亭」が、西洋料理のポークカツレツを日本人向けにアレンジして
広めたのが発祥。当時は薄い肉をバターで焼いていたが、以降天ぷらの技法も採り入れ、豚肉を厚くしても
油で揚げることができるスタイルへ進化した。
親子丼・・・・・・・・・・・・・
明治20年頃、軍鶏料理専門店「玉ひで」で鶏すきの締めに残った肉と割り下を卵とじにして
ご飯とともに食べていた客がおり、これを「親子煮」と呼んでいた。のちにこの親子煮を食べやすく
ご飯にのせて一品料理としたのが「親子丼」の始まりとされる。
佃煮(つくだに)・・・・・・・・
主に小魚、小エビ、貝類、昆布などの水産物を、砂糖、醤油、飴、みりん、調味料などで作られた濃厚な調味液に
浸透させ、甘辛く煮つめた加工食品。江戸の佃島の漁民が小魚を塩辛く煮込んで保存食とし、余ったものを佃煮
として売り出したのが始まりとされる。
べったら漬け・・・・・・・・・・
塩で下漬けした大根を米麹と砂糖で漬けこんだ漬物。名前通り湿った麴や砂糖でべったりと舌に吸い付きそうだが、
その味わいは、ふんだんに使われる麴によって、上品な甘みが醸し出される。
毎年10月19日・20日に、日本橋大伝馬町界隈では「べったら市」が開催され、秋の恒例行事となっている。
最中・・・・・・・・
「空也」は上野池之端に明治17年の創業。その後、銀座へと移転。初代は「関東空也衆」だったため、空也上人
にちなんで空也を屋号とした。そのもなかを実食するには、予約して後日店頭受け取りとするのが確実。
毛利マティーニ(カクテル)・・・・
銀座のバー「MORI BAR」の伝説的バーテンダー・毛利隆雄氏が考案した世界的に有名なマティーニ。
-20℃に冷やされたブードルス・ジンを使い、ステアを繰り返すことで-6℃位まで温度を戻し、味わいや口ざわり、
香りといった官能要素についての理想バランスを出現させるのが特徴。
「あれはマティーニであって、マティーニではない」というウィットに富んだ評もある。