会津若松市 Aizu-wakamatshu-shi

鶴ヶ城

►ゆかりの人物
 蘆名 盛氏・・戦国大名。蘆名氏16代当主。蘆名の始まり佐原光盛以来、盛氏の代で最盛期を迎える。
 蒲生 氏郷・・戦国時代の武将。日野城主、松坂城主を経て黒川城主(最盛期91万石)。修築後、若松城と改名。
 保科 正之・・高遠藩主、山形藩主を経て会津藩初代藩主。「会津家訓(徳川家への忠義)」は幕末戊辰期まで透徹される。
 松平 容頌・・会津藩5代藩主。玄宰を家老に登用し、藩政改革に着手。
 田中 玄宰・・江戸後期の会津藩家老。殖産興業の奨励や藩校日新館の創設で、雄藩飛躍の基礎を築いた。
 会津戦争の経験者・・戊辰戦争の一局面で、会津地方が主戦場となった。
 三島 通庸・・明治初期の福島県令。栃木、新潟、山形とをつなぐ会津三方道路などを開削。土木県令、鬼県令とも。
 野口 英世・・医師、細菌学者。火傷で癒着した左手の手術の受けたこの地で、刻苦勉励の青春時代を送った。

►名勝 ※外部リンク
 会津松平氏庭園

►食のレガシー
  にしんの山椒漬け・・・・・・・
   みがきニシンに山椒の葉をかぶせ、醤油や酢、酒で味付けをする。ひと冬を越すためのたんぱく源。
   このための専用の四角い陶器をにしん鉢と呼ぶ。

  田楽・・・・・・・・・・・・・
   日本各地で食されてきた田楽は、田植えや収穫時の祭礼で笛や鼓を鳴らして踊った芸能に由来し、田楽法師という
   演者が着る白装束が豆腐の串焼きに似ていることから、豆腐にみそや醤油をつけて焼いたものを「田楽焼」と呼ぶ
   ようになった。
   現在に続く会津味噌の蔵元には1790(寛政2)年創業もあり、新選組や白虎隊が口にしたエピソードも残る。

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